本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
坂東眞砂子『蛇鏡』(文春文庫)
もしかして私は、「ホラーに対する感受性」というものがちょっと鈍いのではないか、とたまに思う。世間で恐怖小説と言われているものを読んで怖いと感じることがあまりないのだ。今まで読んだなかで「な、何度読んでもこれは怖い(しかも美しい)ぞ……」と本気で思うのは、泉鏡花の短編「眉かくしの霊」くらいのもんである(しかしこれ、他の人が読んでも怖いのか?)。

なんというかね。“種明かし”がなされた時点で「なあんだ、そうだったのかー」と納得してしまうことが多いんだよね。たとえそれが“実はこれら一連の超常現象は祖先の霊の呪いだったのだ! じゃじゃーん!”みたいな種明かしでも、とりあえず理由が分かればそれで安心しちゃうのだ。(あ、今のたとえはこの本のストーリーとは無関係です、念のため。)それでこの本を読んでも、最後に解説(三橋暁)を見るまで私はこれが「ホラー」の要素を持っているということをほとんど意識してなかったです。

ただ都会から田舎の町に帰省した主人公が感じる、誰もが他人を伺っていてその視線が絡み合うことで生まれる濃密な空気とか、そういう雰囲気は身につまされた。私の場合は、主人公と違って自分が馴染んでいると思ったことは一度もないんだけど、こういう空気は怖いと思う。現実に。

婚約者を連れて奈良に帰省したヒロイン玲は、実家の蔵で蛇の浮き彫りのある鏡を見つけなぜか心惹かれる。同じ頃、近くで鏡の浮き彫りと同じような形の遺跡が発掘され、地元の神社では不吉な兆しが現れる。そして玲は、結婚を目前に自殺した姉に思いを馳せたり、昔好きだった男の人に再会したりするうちに、徐々に心のなかの“揺れ”を自覚していく。

自分でない人間の心の中なんて、決して本当に分かりはしない。たとえそれが婚約者でも。私があの人を好きだと思うほどに、あの人は私のことが好きだろうか。いつも追いかけるのは私。彼は私を追いかけない。人の心は移ろいやすい。「永遠」、「絶対」というものが、どこかにあればいいのに。そんな主人公の心の隙に、蛇文様の鏡はするりと入り込み、揺れを増幅させていく。

そういう「恋愛小説」的な要素に焦点を当てながら読んでいくと。男が“永遠に”という言葉を意識するこのラストシーンは、限りなくシニカルだ。怖いほどに。

蛇鏡
蛇鏡
〔文庫1997/親本1994〕
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ひかわ玲子『至宝の佳人〜美族〜』(光文社文庫)
忘れた頃にやっと3作目が出たこのシリーズ、一体1作目って、いつ読んだんだっけか。多分まだ学生やってたなあ。

“美しい”というただその一点でそこに存在する価値があるかのような絶世の美青年と、彼が属するらしい「美族」と呼ばれる一族の謎。青年を取り巻く人々の死。彼の守護者である若き天才画家。一般人とは隔絶した上流階級の人々。

「あとがき」を見ると、この物語の原形は著者が17歳の頃に書き散らしていたものだとか。少しだけ“現実”から乖離したような疎外感を心のどこかに潜ませた、でも普通の多感な17歳の女の子(だったんではないかと私は想像する)が、こういった物語を延々と夢見つづけたこと。その気持ちは、私にはとてもとてもとても共感できる、ような気がするのだ。読んでて照れてしまうのは、そのせいかもしれない。そしてその女の子が大人になって、その夢想に“形”を与えてちゃんと完結編まで持っていけたこと。それを私は、心から「よかったね」と祝福したいと思う(←えらそうだな)。

至宝の佳人―美族
至宝の佳人―美族
〔1997年〕
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服部真澄『鷲の驕り』(祥伝社)
普段、国際的陰謀がなんたらかんたら……みたいなこういう本は読まないんですよ。今回はまあ、「特許業界から足を洗うぜ」と思い定めてから読む“特許絡みのミステリ”というのもまたオツなものかも、と思って入手してみたんだけど。

うーむ。確かにスケールは大きい。目の付けどころもいいと思う。話もまあ良くできてる。あんまり“残る”ものはないですけどね。深く考えなければ、楽しめる……筈だ。

ただねー。“残る”ものがないと書いたけど、どうせこういうストーリー展開を追うだけが命、みたいな書きかたをするんなら、最後までそれで突っ切ってくれたらいっそ読後感爽やかだったと思います。下手に“意見”とか“メッセージ”みたいなもの、盛り込まずに。なんだかすごく、釈然としないのだ。

さて、これから書くことは、ストーリーにはあんまり関係ないです。はっきり言って、ただの「いちゃもん」かもしれない。それと、ちゃんと特許のことが判ってる人が読んだらすっごい的外れな意見かもしれない、ということも断っておきます。私は特許事務所に勤めているといっても、具体的に特許方面の勉強はしてませんから。

まず、最初に引っかかったのは。物語の中盤で、ある登場人物が「東洋には特許制度は合わない」みたいなことを言う。日本人には“本歌取り”というような文化があって、誰かの知恵を真似、それをブラッシュアップして使うのは自然な行為だ……と。で、本を最後まで読むと、どうやら作者はこの登場人物の意見に好意的みたいなのだ。

ふーん、そうかよ。じゃあ例えば。貴方が十年くらいかけてある発明をしたとする。それを製品化して販売ルートに乗せたとたん、よその、もっと大手で宣伝力も生産力もある会社が貴方の製品を分析して、殆ど同じような、でも少しだけ洗練された物をすごい短期間で出しちゃったら? 貴方が費やした試行錯誤の十年と、開発にかかった莫大な費用のことを考えても“本歌取り”なんて鷹揚なこと言ってられる?

それから、最後の方では別の登場人物が、「誰もが必要とする画期的な技術こそ、広く普及するためには、技術の公開が望まれる」という理由で特許制度に異議を唱える。

はて。私には、ここで作者が意図的に特許制度の「技術公開」という側面を無視しているとしか思えない。「私はこれこれこういう技術を開発しました。つきましては、なにがしかのお金さえ払えば、あなたも同じ技術を使って何か作ってもかまいません」というのが、特許ってもんだろ? 決して「技術の独占=使わせないこと」ではない筈。

むしろこれと「わし、今度新しい技術開発したもんねー、でも誰にも教えてやんないもんねー、自力で判ったって言うんなら仕方ないしそれに対してつべこべ言ったりはしないけど、それ以外の人はわしのとこから製品自体を購入しなさい。作り方は絶対教えませーん」というやつと、本当はどっちが“技術を広く普及させてる”と思う?

本書の話の流れから行けば、本当は糾弾されてしかるべきなのは、例えばサブマリン特許みたいなのを成立させてしまう米国特許法の矛盾点とか、じゃないのかな? 特許制度そのものじゃなく。問題をすり替えるな、と言いたい。狡いよ、キミ。

怖いのは、この本が全体としては非常によく「お勉強」して書かれた作品、という印象を与えることだ。だから、読んだ人は最後のこの主張まで来ても、素直に「ふーん、そうなんだー」と思ってしまうであろう。なんだかなあ。

まあ、確かに今の特許制度はどの国でも色々まだまだ問題ありなんだろうと思う。在職中は法改正のたびに色々と対応が大変だったが、私がこの世界から足を洗った後なら、各国特許庁の皆様、がんがん改正してくれたまえ(笑)。

しかし、こんなところで怒っている私もなんだかなあ。ちょっと虚しい。読んでくれてありがとう。ふう……。

鷲の驕り
鷲の驕り
〔文庫1999/単行本1996〕
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林真理子『ワンス・ア・イヤー〜私はいかに傷つき、いかに戦ったか〜』(角川文庫)
林真理子は、実は嫌いじゃない。殆どエッセイしか読んでいないのだが。私の好きなコラムニスト中野翠が前に、友人であるこの人のことを“欲望の対象は普通だが、その強さが桁外れであることによって彼女は非凡だ”みたいなことを書いてたように思うのだが(すみません、うろ覚えです)、まさしく、そういう感じ。そういう上昇志向の強さ、自意識の強さ、陶酔する能力と、その陶酔に溺れない醒めた視点が両立しているのが面白くて、本来は私の守備範囲じゃないんだけどたまに手に取ってしまう。ああでも最近の作品はどうなのかな? 昔のしか読んでないや。

で。就職にあぶれたボロアパート暮らしの冴えない女の子だった23歳から、徐々にステップアップして売れっ子コピーライターの20代後半を経て30代で直木賞作家になり、結婚、という林真理子自身の経歴と嫌でもダブるように書いてあるこの本の、主人公である〈私〉はかなり“ヤな女”である。ここまでシビアに書くか、というほど。でも、判る。決して感情移入はしないのに、理解できてしまう。納得できてしまう。こういう風にして、戦わなくてはいけなかったんだ、この人は……と。

私が一番印象に残ったのは、まだコピーライターとして会社勤めしていた24歳の頃の話。スーパーのチラシとかを毎日作る生活に〈私〉だけが満足していなくて、そして周りの人間が“野心”というものを全く持たずにいられることが「信じられなかった」というくだりだ。そう、彼女には、信じられなかっただろう。

うーん、実はねー、小説としては、こういうのあんまり好きじゃないんですよ。ただ、「林真理子は常に自らの世界の主人公である」というのを強烈に認識させてくれるという意味では、ちょっと迫るものを感じてしまったのでした

ワンス・ア・イヤー―私はいかに傷つき、いかに戦ったか
ワンス・ア・イヤー―私はいかに傷つき、いかに戦ったか
〔文庫1997/単行本1992〕
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林望『大増補・新編輯 イギリス観察辞典』(平凡社ライブラリー)
イギリスは、一度2週間滞在したことがあるだけだけど、好きな国だ。行く前は「憧れの国」ナンパーワンだったし、行ってしまってからは「もう一度行きたい国」ナンバーワンだ。いろいろやっかいで面倒で不合理で堅物な国かも知んないけどさ。何故か許せてしまうのである。

で。林望という人は、まだ40代だというのに、どうも「じじむさい」文章を書く人だ。特に、“ユーモラス”を目指した部分やカタカナの使い方に、かえってその「じじむささ」が顕著に出るのである。

それが、何故か林望なら、許せてしまうのである。他のその辺のオジサンが書いた文でこういう言葉遣いがされてたら、なんだか「勘違い」ぽくなっちゃって、きっと読んでて痛々しい感じがしたと思う。ところが林望だと。むしろ、そういう変に「ずれた」部分が、かえって林望のいい意味で浮世離れした面を強調しているような気がして、そこがこの人の「味」なんだよ、としか思えなくて、変に気持ちいいのである。

その、私の「林望」に対するフクザツな気分は、「イギリス」という国に対して私が抱いている気分と、もしかしたら共通しているのかもしれない。

だからかもしれないけど、浮世離れしてじじむさくも妙にくだけている林望の文体で語られる「イギリス」というのは、また格別だったりするんである。と、いうわけで今回も堪能しました。

ますます「イギリスに行きたい」病がつのってしまうことである。

イギリス観察辞典
イギリス観察辞典
〔新書1996/単行本1993〕
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林望『音の晩餐』(集英社文庫)
オノマトペ(ほろほろ、とかひゅるひゅる、とか…要するに擬態語・擬声語の類ね)を軸に展開される、食べ物エッセイ、レシピ付。食べ物をおいしそうに書ける人って、いいなあと思います。私はイギリスのお菓子のページが良かったです。カロリー高そうだけど。

やはりインパクト強いのは、帯にもでかでかと書いてある「あんこまパン」(「つるん」)でしょうな。あんこマヨネーズバン、なのだ。試してみたいような、みたくないような。でもそう言えば私はその昔、レーズンパンにマヨネーズという組み合わせをこよなく愛する幼稚園児だったのでした。原理は同じか。

音の晩餐
音の晩餐
〔1996/1993〕
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氷室冴子『冴子の母娘草』(集英社文庫)
独身の女流作家(このコトバ嫌いだけど)氷室冴子と、その婚期が遅れていることだけをひたすらに心配する母親。二人が一緒に旅をすることになって……。

なんつーか、このお母さんは凄い。パワフルである。おばさんパワーって、こういうもんなのね、という感じである。理屈も何もあったものではないし、理不尽この上ないんだが、何故だか憎めない、という。

えー、色々と個人的に身につまされる事情がありまして(苦笑)、電車の中で一気読みです。トーンとしては、シビアな観察眼で鋭い突っ込みを入れて笑いを取る、と言った路線なんだと思うんだけど、お母さんに「(娘さんは)三十五歳で仕事と才能に限界を悟り、そのとき結婚を考えるでしょう」という占いの結果を見せられてトイレで泣く話とか、ついもらい泣きしそうになってしまった。

ううう。私も頑張るぞっ。

冴子の母娘草
冴子の母娘草
〔1996/1993〕
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 かつて存在した「本の虫茶房」というサイトの1996年から2000年の読書メモと、現行サイト「虫の居所」の2002年までの読書メモを再掲載しています。
 現在では捉え方が変わった本もありますが、感想文は誤字の修正など以外ではほぼ当時のまま。
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