本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
五味太郎+小野明『絵本をよんでみる』(平凡社ライブラリー)
何冊かの絵本を取り上げて、対談形式で思いっきり「深読み」。そうか、そういう読み方があったか! と目からウロコな話が色々ありました。が、同時に、なんかすごく、読んでて悔しくもあったのでした。

たとえば最初に出てくるディック・ブルーナの『うさこちゃんとうみ』。ここで五味さんは、うさこちゃんとおとうさん(ふわふわさん)との会話のぎこちなさや、このお話における“おかあさんうさぎ”の不在を説明する、ある仮説を披露します。なるほど、そう考えればつじつまが合うのだな、と納得させられてしまう仮説です。

でもさ。納得する必要って、あったんだろうか。私は、自分が、納得することを欲していなかったような気が、するのです。私にとって、『うさこちゃんとうみ』は、あの平面の世界だけで完結していたから。奥行きなんて、要らなかったのです。うさこちゃんは、おとうさんと一緒に、海へ行って、遊んだ。それだけでいいじゃない。理由なんて要らない。私はただ、それだけを呑み込んで、ずっとずっと幸せだったのに。何も考えずに、何度も何度も、ただそれだけの事実を、深々と満足しながら、読み返すことができたのに。

なのにもうこれからは、五味さんの言葉を思い出さずに、ただ『うさこちゃんとうみ』をありのままに受け入れて読むことは、私には不可能となったのです。五味さんの言葉に、それだけの論理があったから。それが悔しい。何かを、なくしてしまったように、悔しい。なんつーか、こう、「オトナになってしまった」みたいな(おいおい)。

ああでも「父と娘のぎこちない会話」についての考察なんて、思い当たるふしありまくりで、どきっとしましたね、たしかに。

そう、非常に楽しく興味深く読了したのですよ。でも、やっぱり、悔しい(笑)。それは、自分のお気に入りの本が、自分以外の人間の目で、深く理解されていることに対する、嫉妬なのかもしれないけど。特にセンダックの『かいじゅうたちのいるところ』なんて……うーん、うーん。

子供の頃って、大切な本を「自分だけのため」のもののように、思ったりしませんでしたか? 他人が同じものを読んでるのがすごいショックだったり。

私はどうも、その頃読んだ本に関しては、今でもそうらしい。

絵本をよんでみる (平凡社ライブラリー)
絵本をよんでみる (平凡社ライブラリー)
〔1999年/親本1988年,リブロポート〕
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 かつて存在した「本の虫茶房」というサイトの1996年から2000年の読書メモと、現行サイト「虫の居所」の2002年までの読書メモを再掲載しています。
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