本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
北村薫『六の宮の姫君』(東京創元社)
今までこのシリーズは文庫落ちしたものにしか手を出してなかったので、遅ればせながらの読了です。大学4年生になった主人公の《私》が、卒論やりつつ出版社でアルバイトを始めて、その仕事を通して知り合った作家の一言をきっかけに芥川龍之介の作品『六の宮の姫君』に秘められたエピソードを掘り起こしていく。

うーん。久々に読んだからかなあ。今までの3作とは毛色の違う話だからかなあ。それとも、私自身のこの人の本に抱くイメージが、徐々に変化してきているせいなのかなあ。

たしかに面白……くはあった。面白くはあったんだけど。なんか、この話は、この「円紫師匠と私」のシリーズでは、やってほしくなかったかもなあ、と思ってしまったのだ。番外編としてならまだしも。この次の作品(未読)は、どんなかんじなんだろう。もとの路線に戻っているんだろうか。それとも、ますますこういう方向に進んでいくんだろうか。

今までの3作での主人公であるところの《私》は、結構好きだったし、自分とダブるところも多かった。なのに、なぜか今回はそれほど共感できなかった。ちょっとした表現なんかが、どうも昔感じたような「みずみずしさ」から離れてしまっているような、変な違和感があって。え、《私》がこんな語り方をするのか、みたいな。円紫さんとの絡みが少ないせい? 《私》がオトナになりつつあるから? それとも、《私》に対する読者の私の勝手な思い込みが悪かったの? うーん。

たとえば、これはもうほんとに私の勝手な言い草であることは間違いないんだけど、《私》がちょっと“おどけた”物言いを地の文でする箇所なんかで、ふと思ってしまうのだ。ひーん、いくら奥手でブッキッシュで古風な女の子でも、それは「ぢょしだいせい」が一人称の文章では使っちゃいかん表現だよーっ! そんな書き方が許されるのは「おばさん」だけ、それも「ユーモアのつもりで実は滑ってる」というのを演出したいときに使うレトリックではーーーっ! ……などと。私が北村薫を読み出した時期は結構遅いので、彼が薫という可愛い名前ではあるけどしっかり「おじさん」であることは最初から知ってたし、作者の顔にイメージを左右されてるつもりはないんだけどなあ。これって私だけの感覚なのかなあ。そうかもしんない。しかしこういうところで、読んでて突然「へなへな」となってしまったのは、正直な話なのだ。昔はどっちかというと、「うわあ、なんでこの人、おじさんなのにこんな女の子の気持ちを書けるんだろ」と思っていたのが、今回は正反対の印象を抱いたところが数箇所。うーん、うーん。北村ファンの方々、ごめんなさい。

ただやっぱり面白くて一気に読んでしまったのは、もともとこういう話自体は好きなのと、自分も昔は大学生だったから、なんだろうなあ。こういう資料が資料を呼んで延々とリサーチを続ける話っていうのは、なんかめちゃくちゃ身につまされるというか。

こういうテーマを、素人にも面白く感じられるように書いているのはさすが、と思いました。

六の宮の姫君 (創元推理文庫)
六の宮の姫君 (創元推理文庫)
〔文庫版1999年/親本1992年〕
か行(作者名) | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









http://archive.mushi.pepper.jp/trackback/921297
前の本 | main | 次の本
+ about this blog
 かつて存在した「本の虫茶房」というサイトの1996年から2000年の読書メモと、現行サイト「虫の居所」の2002年までの読書メモを再掲載しています。
 現在では捉え方が変わった本もありますが、感想文は誤字の修正など以外ではほぼ当時のまま。
 今後の実質的な更新はありませんが、コメント、トラックバックは受け付けています。