本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
中島梓・今岡清『今岡家の場合は』(学習研究社)
正直言って、今の私にとっては「栗本薫」という作家は、新刊が出たらすぐにチェックするというような追っかけの対象ではなくなっている。それでも少し前までは、ハードカヴァーこそ買わないものの、文庫落ちしたものには大概目を通していた。それも今では、やめてしまっている。まあ、グイン・サーガだけはねえ、ここまで来ちゃったら、最後まで見届けるしかないってかんじで読んでいますけどねえ。

そんな私ではあるのだけれど。実は、作家・栗本薫のもう一つの顔であるところの「中島梓」というキャラクターには、とても興味があるのだ。時には、「栗本薫」の作品をさえ、小説そのものとしてではなく、「中島梓」というキャラの内面を推し量るための手がかりとして読んでしまうことがあるほどに。

これは自分でもよく分からない。多分、そこには私自身の、なんらかのコンプレックスが絡まっているのだ。なんていうんだろう。自意識の強烈な人を遠くから分析的に見ているのが好きなのかな、もしかして私は。そういう人が好きで友達になりたいというより、そういう人を横目で観察しているのが、私にとっては、気晴らしになるというか。嫌な性格だなあ、我ながら(笑)。こういうこと言ってると、そのうち自分が誰か他人に勝手に分析されて嫌な思いしたりとか、するんだろうなあ。因果応報。

とにかくこの人の、「自分の身に起こった、普通と違うこと」「それについて考えたこと」をすべて文章なり何なりにして広く世間に問うてしまう姿勢は、好き嫌いを超えて、ただあっぱれというかんじなのだ。

この人は「自分は他人とここが違う」「世間一般と比べて、ここが突出している」といったことに、ものすごく敏感なのであるに違いない。

この本は、妻である中島梓さんが一家の稼ぎ頭となり、夫である今岡清さんが家事をこなすという、確かに世間一般ではまだ珍しい形態の家族をやっている“今岡夫妻”が、自分たちの生活を語るというもの。

でね、中島さんは、色々と自分たちの生活を紹介して、「これが私たちにとっては普通なのだ」ということを、繰り返し言うわけです。ところが、その端からやはり「でも、私はみんなから見れば普通じゃないよね、私って変わった人なのよね」という誇らしげな声が行間から聞こえてくる、ような気がしてしまうんだな。それをねじ伏せて、「普通」を敢えて強調しているような印象を与えてしまうのだ。だから、全ての主張が、なんか必要以上に力んで聞こえてしまうのだ。「さまざまな普通」「それぞれの人にとっての普通」があっていいという理屈には、すごく共感する。けど、なんだか彼女自身の意識が、自分自身を「普通」とみなすことに拒否感を覚えているんじゃないかというような、理屈との微妙なズレを感じてしまうんだよね、こっちは。私の僻みかもしれんが。

それが良いとか悪いとか言いたいんじゃない。ただ、「中島梓というキャラクター」のファンである私には、なかなか興味深いというだけだ。

面白かったのが、今岡さんの書いてる文章で、養われる身となったことで生じている気持ちの落ち着かなさについて書いた部分とか。うん、なんか分かるわあ。男の人でも同じなんだね。

今岡家の場合は―私たちの結婚
〔1994年〕
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