本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
綾辻行人『殺人鬼』(新潮文庫)
私、駄目なんです、スプラッタって(涙)。とにかく、全然駄目なんです。

有名な作品であるにも関わらず、そしてずいぶん前に購入してあったにも関わらず、今までこれを読んでなかったのは、血がどばどば、内蔵べちゃべちゃなスプラッタ描写のオンパレードだって聞いてたから。で、案の定だ。

ほんとにもう、なんでこんな、どろどろぐちゃぐちゃなお話がど迫力に書けちゃうんだか。くらくらくら。ああ気持ち悪いぃぃぃぃ。

ところが。なんとなんと、この本の支柱は決して、そういうどろどろぐちゃぐちゃな描写なんかじゃない。探偵こそいないが、これは作者と読者の間で展開される、推理ゲームでもあるのだ。

……なんですけどねえ。

なんせ、どろどろぐちゃぐちゃがあまりに迫力なもんで、とにかくもう「えーん、早く読み終わって片づけてしまいたいよう」と泣きながらぶんぶん読み飛ばしちゃって、とてもじゃないが、作者が仕掛けたトリックに気付くどころではない。気付く気付かない以前に、読み飛ばしちゃってるんだから。もしかしたら、冷静にじっくり読めば、気付いたかもしれないことなのだ(あくまでも「もしかしたら」だけどさ)。大体、作者は本の冒頭ですでに、読者への挑戦を行なっている。なにかトリックがあるぞ、ただのスプラッタ・ホラーじゃないぞ、と。でもでもでも、こんなの、じっくりなんて読めないんだもんっ!

ってわけで、この「どろどろぐちゃぐちゃのスプラッタであること」自体が、トリックから読者の目をそらすための、二重のトリックになっているとも言えるかもしれない。典型的なスプラッタ・ホラーの体裁を取ることで作品のジャンルを錯覚させることと、あまりの気持ち悪さで冷静に読むことを忘れさせてしまうことと、二つの作用を持っている。少なくとも、私のような軟弱な読者に対しては。

で、そうなんだけど、それでもやっぱり、この作者こういうスプラッタに愛を持って書いてるんだろうなあというのも、分かる。純粋に人工的なものとしての、現実から完全に乖離したものとしての、スプラッタ。

人工的なものとしてのスプラッタと、人工的なものとしての本格ミステリと、両方の精神を併せ持った本ではある。だから非常に美しい構成の、技巧を凝らした洒落っ気のある本ではあるはずなんですが。

うなされそう。

殺人鬼 (新潮文庫)
殺人鬼
〔1996年/親本1994年,『殺人鬼 I』フタバ・ノベルス〕
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