本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
浅田次郎『日輪の遺産』(講談社文庫)
この本についての感想は、すごく複雑だ。

第2次世界大戦が終わる間際の、純真な女学生たちの物語と、50年後に不動産屋が、ある老人から譲り受けた手帳のとんでもない内容とが交差し、時価200兆円の財宝の存在が浮かび上がる。

力作です。すごい力作です。

でも、読み終えた私の心境は複雑だ。老人の手帳を読み解いた男は、いつしかこれを「宝探し」ではなく、「国生みの神話」と捉えるようになる。戦争に負けて、どんぞこまで落ち込んだ日本が立ち直っていくために、日本を守るために、たくさんの、たくさんの人々が自らを犠牲にしていった。そして日本人には、立ち直っていくだけの底力があった。

終戦直後の日本を訪れた作中のマッカーサーは、他のアメリカ将校たちに向かって、主張する。「カミカゼ」の国、日本を侮ってはならないと。「われわれはこの国を復興させ、なおかつ復活と戦うためにやってきた。」ちっぽけな、こんなちっぽけな国が、世界を相手に戦ったのだ。ガソリンがなければ薪を燃やして自動車を走らせ、兵器がなければ竹槍で突撃し、不死の鳥をシンボルマークに使う。軍人たちは、国のためならば死を厭わない。いや、民間人でさえ。

財宝云々はこの小説の中のお話だけれど、あの頃の日本人が「個人」としての生を捨てて「国」に尽くしてしまう民だったことは、真実だ。だから、やりきれない。

今の私たちの豊かな生活が、そのような人々の無私と「報国」の上に成り立っているのなら。とても、やりきれない。

一体、何が「正しいこと」だったのか。なぜあの時代の彼らは、あんなにも明確な使命感のもと、「お国」のために「個」としての自らを葬り去ることができたのか。しかしそれが美談でなど、あるはずがない。あってはならない。

歴史に「もしも」はないけれど。もし、戦後の日本の繁栄がそのような無私の人々によってもたらされたものだというのなら、日本は栄えるべきではなかったのだ。作中のマッカーサーが言うような「個人の意志など入り込む余地のないほど完成された日本人の精神」など、糞食らえだ……。

そう思うこの私自身、戦後の激動をくぐり抜けて豊かになった日本に生まれ、その恩恵をこうむって育っているわけで。だから、本当はそんなことを言う資格はないのだ。けれども、「日本人の完成された精神」などという幻想が未だに日本の空気の中に生き残っていることで、今この瞬間に、「個」としての自分を持つことに対して不当な圧力をかけられ、言われのない罪悪感に苦しむ人々が存在することも、事実だ。

「国」とか、もっとミクロなレベルでは「家」とか、そんなものを存続させるために「個人」が滅却される伝統は、廃れたと言われていても実は未だにこの国には通奏低音のように存在していて、しかしその伝統にすがって今まで生きてきた大人たちは、力を持つ人であるほど、それに対して何の疑問も抱いていない。

けれどもあの時代には、無力な人々にとっても、それが唯一の価値観だったのだ。誠実な人間であるほど、善良な人間であるほど、他にどんな行動が取れたというのか。だからやりきれない。

だから。こんなふうに、あの頃の彼らのことを、悲愴に、ドラマティックに、英雄的に、無邪気に、涙を誘うように、書かないでくれ。こんなにも美しく、書かないでくれ。美しいものであってはならないのだから。

そんな怒りがふつふつと湧いてきたのだ。

実を言うと、読み通すのにものすごい日数がかかってしまった。読んでいる間中、なんだか居心地が悪くて。

「われわれの世代が、われわれの内なる『日輪の遺産』の存在に気付いたとき、少女たちは暗渠から再生するに違いない」

と、浅田次郎はあとがきに書く。私は、彼が「日輪の遺産」という言葉で表そうとするものを意識したとき、自分の「血」が嫌になった。「日本人である自分」が生まれなければよかったとさえ、思った。本当は「国家」としての日本など、滅びてしまっても良かったのではないか? それがいいことだとは言わないが、そうして国を持たずに生きている民族はこの世にいくらでもあるのに……というのが、この本を読み終えたときの最初の感想。しかしもはや私たちは、この「日輪の遺産」を背負ったまま、生きていくしかないのだ。生まれてしまったのだもの。そんなふうに思うのは、私が終戦直後の苦しい時代や、その後の「高度成長期」を知らない世代だからだろうか。

私にはどうしても、これを日輪の「遺産」だとは思えない。むしろ「われわれの世代」以降の日本人がずっと背負っていかなくてはならない「十字架」であるとしか、思えない。それを「遺産」だったのだと美しく肯定的に捉えるのでなく、十字架を背負ったまま何とか前向きに生きていこうという物語にしてほしかったと思うのだ。だから、どうもこの本を読んでいると、居心地が悪い。「遺産」という単語を使う作者にシンクロできなくて、怒ってしまうのだ。

ああ、なんか筋違いなとこで引っかかってるような気がしてきた。悲しい。えーと、居心地が悪かったのは、作者のスタンスが今ひとつ読みきれなかったっていう、私の読解力のなさのせいなのかもしれない。

しかしここまで考え込ませてしまうのだから、やっぱりすごい力作なのである。(って、なんか取って付けたような結びになってしまいましたが、いや、マジで。)

日輪の遺産 (講談社文庫)
日輪の遺産
〔1997年/親本1993年,青樹社〕
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