本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
服部真澄『鷲の驕り』(祥伝社)
普段、国際的陰謀がなんたらかんたら……みたいなこういう本は読まないんですよ。今回はまあ、「特許業界から足を洗うぜ」と思い定めてから読む“特許絡みのミステリ”というのもまたオツなものかも、と思って入手してみたんだけど。

うーむ。確かにスケールは大きい。目の付けどころもいいと思う。話もまあ良くできてる。あんまり“残る”ものはないですけどね。深く考えなければ、楽しめる……筈だ。

ただねー。“残る”ものがないと書いたけど、どうせこういうストーリー展開を追うだけが命、みたいな書きかたをするんなら、最後までそれで突っ切ってくれたらいっそ読後感爽やかだったと思います。下手に“意見”とか“メッセージ”みたいなもの、盛り込まずに。なんだかすごく、釈然としないのだ。

さて、これから書くことは、ストーリーにはあんまり関係ないです。はっきり言って、ただの「いちゃもん」かもしれない。それと、ちゃんと特許のことが判ってる人が読んだらすっごい的外れな意見かもしれない、ということも断っておきます。私は特許事務所に勤めているといっても、具体的に特許方面の勉強はしてませんから。

まず、最初に引っかかったのは。物語の中盤で、ある登場人物が「東洋には特許制度は合わない」みたいなことを言う。日本人には“本歌取り”というような文化があって、誰かの知恵を真似、それをブラッシュアップして使うのは自然な行為だ……と。で、本を最後まで読むと、どうやら作者はこの登場人物の意見に好意的みたいなのだ。

ふーん、そうかよ。じゃあ例えば。貴方が十年くらいかけてある発明をしたとする。それを製品化して販売ルートに乗せたとたん、よその、もっと大手で宣伝力も生産力もある会社が貴方の製品を分析して、殆ど同じような、でも少しだけ洗練された物をすごい短期間で出しちゃったら? 貴方が費やした試行錯誤の十年と、開発にかかった莫大な費用のことを考えても“本歌取り”なんて鷹揚なこと言ってられる?

それから、最後の方では別の登場人物が、「誰もが必要とする画期的な技術こそ、広く普及するためには、技術の公開が望まれる」という理由で特許制度に異議を唱える。

はて。私には、ここで作者が意図的に特許制度の「技術公開」という側面を無視しているとしか思えない。「私はこれこれこういう技術を開発しました。つきましては、なにがしかのお金さえ払えば、あなたも同じ技術を使って何か作ってもかまいません」というのが、特許ってもんだろ? 決して「技術の独占=使わせないこと」ではない筈。

むしろこれと「わし、今度新しい技術開発したもんねー、でも誰にも教えてやんないもんねー、自力で判ったって言うんなら仕方ないしそれに対してつべこべ言ったりはしないけど、それ以外の人はわしのとこから製品自体を購入しなさい。作り方は絶対教えませーん」というやつと、本当はどっちが“技術を広く普及させてる”と思う?

本書の話の流れから行けば、本当は糾弾されてしかるべきなのは、例えばサブマリン特許みたいなのを成立させてしまう米国特許法の矛盾点とか、じゃないのかな? 特許制度そのものじゃなく。問題をすり替えるな、と言いたい。狡いよ、キミ。

怖いのは、この本が全体としては非常によく「お勉強」して書かれた作品、という印象を与えることだ。だから、読んだ人は最後のこの主張まで来ても、素直に「ふーん、そうなんだー」と思ってしまうであろう。なんだかなあ。

まあ、確かに今の特許制度はどの国でも色々まだまだ問題ありなんだろうと思う。在職中は法改正のたびに色々と対応が大変だったが、私がこの世界から足を洗った後なら、各国特許庁の皆様、がんがん改正してくれたまえ(笑)。

しかし、こんなところで怒っている私もなんだかなあ。ちょっと虚しい。読んでくれてありがとう。ふう……。

鷲の驕り
鷲の驕り
〔文庫1999/単行本1996〕
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