本の虫

虫干し読書録

こ ん な 本 を 読 ん で い た 。
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        高野史緒『ヴァスラフ』(中央公論社)
        発達したコンピュータ・ネットワークが全土に普及しているという設定の旧ロシア帝国において、ネット上の仮想劇場に出演し熱狂的に支持されるバーチャルなバレエ・ダンサー“ヴァスラフ”。彼は創造者の手を離れ、プログラムを超えた自らの意思と創造性をもって踊りつづける。

        戯曲形式なので、読みにくいかなあと懸念していたけれど、そうでもなかった。むしろ、情景がくっきりと浮かびやすいくらい。バレエ、およびモデルとなった実在のダンサー、ヴァスラフ・フォミッチ・ニジンスキーに関する知識がもっとあれば、もっと鮮明に思い浮かべることができたのかも。とにかく、ニジンスキーに対する“愛”を感じる作品。

        ヴァスラフ
        ヴァスラフ
        〔1998年〕
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        高野史緒『架空の王国』(中央公論社)
        ヨーロッパの小国に留学したヒロインが、到着早々殺人事件に巻き込まれる。殺された教授の後を継いだ若い担当教官は飄々と掴みどころのない王子様で……。ああ、「大人のためのおとぎ話」というのは、こういうものを言うのかしら、と思いました。淡々と洒落ていて、どこかピリっと辛くて苦くて。

        迷路のような書庫に立ち込める、古い書物の匂いがありありと感じられ、そういうのが好きな人にはたまらないでしょう。学問としての歴史を考えたことのある人間なら、ハッと心を衝かれる言葉があるでしょう。学生の頃に読みたかったなあ。史学科にいた頃にこの本に出会えていたら、私はずいぶんと力付けられたに違いないのだ(この本が出版された頃には、とっくに卒業してたけどね)。

        架空の王国 (fukkan.com)
        架空の王国 (fukkan.com)
        〔ブッキング,2006年/親本1997年〕
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        嶽本野ばら『それいぬ』(文春文庫PLUS)
        なんともかんとも。ページをめくっていくうちに、めらめらと嫉妬が湧いてくる。

        なぜこの人は、私のなかにあった気持ちを、こんなふうにあっさりと、コトバとして他人の目に触れるところに発表できてしまうのか、みたいな。

        それほどに、なにもかもが。細い細い針の先で、正確に狙われているような、ぴりぴりとした痛み。きっとこの文章に反応してしまうのは、ある種の人間に共通の志向なのだろう。まるで、「踏絵」のようなエッセイ集だ。これがまっすぐに心に届いた人は、きっと私の仲間。高校生の頃に読んでたら私、帰ってこれなかったかも(どこから?)。この人の小説も、今度読んでみよう。とても怖いけど。

        それいぬ―正しい乙女になるために (文春文庫PLUS)
        それいぬ―正しい乙女になるために (文春文庫PLUS)
        〔2001年/親本1998年,国書刊行会〕
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        蔦森樹『男でもなく女でもなく〜本当の私らしさを求めて〜』(朝日文庫)
        『性同一性障害〜性転換の朝〜』からの流れで、目についた本。多分この著者は、『性同一性障害〜性転換の朝〜』での分類(というほどでもないが)で行くと、「自己認識上では性別がはっきりしない(させたくない)人」なのだろうと思う。『性同一性障害〜性転換の朝〜』が、友人の抱える問題に触発されて書かれた本であるのに対し、こっちは当事者の目から、実体験をつづったもの。

        もともとは、たくましい長身の体格、ヒゲを生やした顔、バイク好き、と「男らしさ」の象徴のような外見、生活を追及してきた著者がある日、ふと鏡を見たとたん、「これは自分が求めていた姿ではない」と気付く。そして、自分は本当は、どのように生きていきたいのか、どんな自分が本当の自分なのか、ということを模索していく。

        そしてその過程で、世の中がいかに「男らしさ」、「女らしさ」という概念にしばられているかということを実感していく。そう、スーパーで買う歯ブラシひとつ取っても、あきらかに使用者の性別が想定された区別があるのだ。そのことが、著者を苦しめる。肉体上の性別は「男」に分類されてしまう著者は、はっきりと、「男」として生きていくことに拒否感を覚え始めていたから……。

        この人の言葉に重みがあるのは多分、この人が一度苦しみ始めてからは、自分のその苦しみから目をそらすことなく、その正体を突き止めようともがいていったさまを、ものすごく率直に語っているからだ。

        気付かなかったフリをしてたほうが、ラクだったのかもしれない。それでも敢えて、社会から奇異の目で見られてでも、自分らしく生きていくことを選択したことによって、著者の人生は進む方向を大きく変えていく。「男らしい男であること」をやめてからは、ダンスホールの職員、女装雑誌のライター、バーのホステス、美術学校のヌードモデル、そして“専業主婦”までを経験して、「男」と「女」の二種類だけで構成されている社会の息苦しさを体感していく。

        正直言って、私にはこの人の苦しみは、いくら切実な文章で語られても、いくら感銘を受けても、本当には理解できていないだろうと思う。極限まで想像力を押し進めても、どこかで跳ね返されてしまうような印象を、読んでいて何度か受けた。

        それでも、やはり。この人の言葉は、重いのだ。

        この手の問題の難しさをしみじみと感じたのは、最後のほうに収録されている、性同一性障害に関する一文。私は、前記『性同一性障害〜性転換の朝〜』の感想のなかで、どうやらこの問題はジェンダー(社会的な性別上の役割)で片付く話ではないらしいと分かって衝撃を受けた、と書いた。しかしこの著者はどちらかというと、この問題を「ジェンダーを中心に論じるべきもの」と捉えているらしいのだ。乱暴な言い方をしてしまうと、この人はむしろ、もともと以前から私が思っていた“男がフリルひらひらエプロンをつけて家事をしていても何も言われない社会”さえ実現すれば、それでいいのではないか、という認識に、かなり近い論理を展開しているように思える。

        性転換手術を、「先天性疾患によって食い違っていた脳と肉体の性別を一致させる医療行為」と捉えるのが、今の動向らしいけれど、この人にとっては、それはやはり違和感のある考え方であるようだ。当事者を「生きていきやすく」する、Quality of Life を向上させるための措置としての手術は否定しないとしても。性転換を「医療行為」とする考え方は、結局は世の中が「男」と「女」のニ種類の人間のみによって構成されている、という前提に基づくものだから、従来の男女の概念に嵌まらなくても生まれたままの自分を受け入れようとしている「男でもなく、女でもなく」というアイデンティティを持った人々は、結果的にそこからもまた疎外されてしまうという懸念……であると私は読み取ったんだけど、どうかな。

        でもって、結局は、私の感想としては「人それぞれってことなのね」という腰砕けな言葉に集約されてしまうのですが。リスクのある性転換手術を受けてでも肉体を変えたい人、変えたくないけど従来の性的役割分担は拒否したい人、自分は女だと思っている人、自分は男だと思っている人、どっちでもないと思っている人。みんなが、それぞれお互いを認め合いつつも干渉しあわずに、同じ社会に住むものとしての最低限のルールだけ守って「人それぞれだよね」と生きていくことが、夢物語のようだけど、でも究極の理想社会じゃないのかなあ。性別の問題だけじゃなく、いろんな局面での「生き方」全般の問題として。

        あー、なんかめっちゃ青臭いこと書いてますね私。

        とりあえず、無力かつまだあれこれ認識不足なことが沢山あるだろう今の私にできる範囲のことと言えば、誰に対しても「あなたが何者であっても、あなた自身であるからこそ好きなんです」という態度を、思うだけでなくちゃんと表明すること、かな? さらに輪をかけて青臭いか?

        男でもなく女でもなく―本当の私らしさを求めて (朝日文庫)
        男でもなく女でもなく―本当の私らしさを求めて (朝日文庫)
        〔2001年/親本1993年,勁草書房〕
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        高畑京一郎『ダブル・キャスト(上・下)』(メディアワークス 電撃文庫)
        ビルの屋上から転落して死んだはずの「川崎涼介」。偶然現場に居合わせたショックで気絶した「浦和涼介」。気がつくと、二人の涼介は1つの身体を共有していた。

        この人の作品は皆、一言でいえば、「端正」なのだと思う。どのキャラクターも、ストーリーのために捻じ曲げられることがない。それでも、すべての要素が、嵌まるべきところにきちんと嵌まる。さらにそれらが、破綻のないストレートな文章で綴られている。この快感。特に目新しいところはない設定、定石通りの展開、期待通りのラストシーン……と考えていくと、たしかに前作『タイム・リープ』と比べて小粒な印象ですが、とにかく、読んでて気持ちいいのだな。

        ダブル・キャスト〈上〉 (電撃文庫)
        ダブル・キャスト〈上〉 (電撃文庫)

        ダブル・キャスト〈下〉 (電撃文庫)
        ダブル・キャスト〈下〉 (電撃文庫)
        〔2000年/親本1999年〕
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        武田百合子『日日雑記』(中公文庫)
        あちこちの読書系ウェブサイトで誉められてるので、一度この人の本を読んでみたかった。

        なるほど……ハマる人がいるのも分かる。他のは知らんが、この本なんて、特になんてこともない毎日のあれこれを延々と綴っただけなんだよね。なのに、面白い。

        この人、「自分はこう思う」みたいな押しつけがましいこと、なにも主張しない。なのに、なんだかこの人って、きっとこんなかんじの人……? というのが、イメージできてしまうのが不思議。

        淡々と、ものすごく淡々と、「見たこと」と「あったこと」を書き連ねているだけなんだけど、その淡々とした言葉は、ときどきかなりするどい。「自分が見たもの」のなかから、なにを選択するか。どこに目をとめるか。その辺で、書いた人のイメージが伝わってくるんだろうな。

        読者に対して派手にアピールする文章よりも、一見単純なようでいて、実はなかなか書けない文章っていうのが、一番高度なのかもしれない。

        日日雑記 (中公文庫)
        日日雑記 (中公文庫)
        〔1997年/親本1992年〕
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        高見広春『バトル・ロワイアル』(太田出版)
        新書ノベルス版で666ページの大作ですが、ほとんど一気読み。読み終わったあとも、しばらく現実に戻って来られませんでした。あまりに鮮烈で。実はかなり、ハマってしまったです。ゴールディングの『蝿の王』とか連想したです。読み終わった直後に、今すぐもう一回読もうかと思ったくらいにはハマってしまったです。

        色々と曰くつきの本だとか。なんでも某ホラー小説大賞で候補作には残ったものの、「非常に不愉快」だのなんだのと選考委員からは集中攻撃を受け、作者の人間性を批判するような発言まで飛び出したらしい。

        しかし私が実際に読んでみての感想は「なんで、これがそこまで言われちゃうわけ?」ってかんじでした。この本ほど人死にがなくても、この本ほど過激でなくても、もっともっと読後感が「不愉快」な小説、私、いくらでも知ってるもの。そもそも「ホラー小説」の選考で「不愉快だから」というのが落選の理由になるのは、門外漢の私からするとかなり不思議ではあります。「生理的不愉快さ」によって成り立つホラーもアリなんじゃないかなあ。これがそうだとは思わないけど。むしろこの作品は、「ホラー」として世に出なくて正解かも。

        たしかに、この設定は過激ではある。“パラレルワールドの日本”としか思えない「東洋の全体主義国家、大東亜共和国」で、国の政策により「国防上必要な戦闘シミュレーション」という名目で行なわれる殺人ゲームを強制された中学3年生の男女42人。ルールは単純。生還を許されるのは、ただ一人。最後の一人になるまで、殺し合え。

        しかしこのトンデモナイ状況設定を土台に描かれる物語は、なんていうか非常に「まっとうで、人道的な」神経で作られていると思いましたね、私は。少なくとも、作者の人間性が批判されるような作品では、絶対にない、と。

        それに私、以前その批判をしたらしい選考委員の一人である某作家先生の某作品を読んで「ああ、とっても後味の悪い小説だけど、人間の醜悪でいやらしい部分をここまでくっきり書けるのは、やはり才能の一つなんだろうなあ」と感嘆したことがあったのだ。殺人の出てくるような話ではなかったけれど。だから他でもないその先生がこの『バトル・ロワイアル』を読んでそういう発言をしたらしいと知って、ものすごくショックだったのだ。だって、『バトル・ロワイアル』のほうが、その先生の作品のいくつかよりも、はるかに「人間」というものに希望を託して書かれていると思ったんだもん。ちょっとおセンチに過ぎるのでは、とさえ思うほどに。まあ、ジャンル的にも違いすぎるので、本来は両者を比較してもまったく意味ないんだけど。

        閑話休題。さて、この『バトル・ロワイアル』、読み終わってからまず改めて感心したのは、42人の生徒たち一人一人がきっちりと書き分けられていて、これだけ登場人物が多いのに読んでて混乱を感じなかったことです。その代償として、かなりパターン化されたキャラ造詣になっていることは認めるけど。また、彼ら42人の「ゲーム」中での複雑な絡み合いにも、ほとんど破綻が見られない。

        たしかに、私ごときでも時々、文章こなれてないなあと感じたりもしましたし、マンガ的な表現が多用されているなあとも思いましたが(しかしこれは、私らくらいの世代だと当然かも……この作者、私と年齢あんまり変わらないんだよね)、こういうところや、その他もろもろの青臭い部分、世界構築があいまいな部分などなどが、かえって「かなり痛いところを突いてくる青春小説」としての効果をあげていると思ってしまったのです。

        賛否両論の金八先生のパロディ部分も、私には必然的なものであるように思えました。これがすごく、作品の中の「毒」になっているような気がします。これがなかったら、ここまでハマらなかったと思う。

        少なくとも私にとっては、この作品の一番「恐ろしい」部分は決してスプラッタな表現や子供による殺し合いの描写ではない。15歳という大人と子供の狭間の時期にある少年少女たちが、国が決めた制度によって毎日一つところに集められて「金八先生」的健全世界を演じさせられている、“現実の”いびつさが段々と見えてくるというのが、怖いんじゃないのかなあ。そのいびつさによって静かに静かに蓄積される、黒々とした感情。それが、きっかけを与えられさえすれば、いつだって爆発できるのだという、怖さ。

        けれども、本作品の著者は、その黒々とした感情に決して呑み込まれることのない少年少女をストーリーの中心に配して、徹底的に希望を託す。「人間」への信頼をゆるがさない。……これのどこが、「不愉快」で「人間性を疑う」作品なんだか。

        私はこの作品を読んで、特にこの「坂持金発」というキャラの持つ毒に触発されて、自分の世界に対する無力さに歯噛みした小学生時代(金八先生やたのきんトリオが出てきた頃ね)、そして自分の中にいろんな、暴力的にさえなりうるモヤモヤを抱え込んで途方にくれていた15歳前後の感情などなどを、鮮明に思い出しました。この作者も、多分、私と同じように色々なことに違和感を持ちつつ子供の頃はそれをどう表現していいのかわからなかった人なのではないか。

        とにかく私にとってはこの『バトル・ロワイアル』はまず第1に「青春小説」なのです。だからこそ、中途の残虐さも、唐突な「おふざけ」も、類型化されたキャラも、稚拙な部分も、最後のめちゃくちゃに甘ったるいセンチメンタリズムも、作者がこの1作に3年もかけてしまったことすらも、すべて必然であるように思えます。

        うーん、思い入れ強すぎて冷静に書けない。

        バトル・ロワイアル 上  幻冬舎文庫 た 18-1
        バトル・ロワイアル 上 幻冬舎文庫 た 18-1

        バトル・ロワイアル 下   幻冬舎文庫 た 18-2
        バトル・ロワイアル 下 幻冬舎文庫 た 18-2
        〔幻冬舎文庫2002年/親本1999年〕
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        種村季弘『謎のカスパール・ハウザー』(河出文庫)
        まず、最初に言っときますけど、後ろカバーに書いてある内容紹介で「一九二八年、ライン連邦バイエルン王国に突如現れた奇妙な少年。」っていうのは、違うだろーがっっ。皆さん、これは一八二八年の間違いだからねー。手に取って「どういう話かな?」って思ったときの印象が全然違うじゃん、1928年と1828年じゃ。この本、損してるよー、この誤植で。ぶつぶつぶつ。

        ふー(気を取り直して)。カスパール・ハウザーというのは知る人ぞ知る実在した人物なんだけど、不覚にも私は今まで、名前程度しか知りませんでした。1828年、突如ふらりと出現した少年カスパール・ハウザー。言葉も不自由な彼自身の拙い主張では、幼いころからずっと地下牢に監禁されていたらしい。保護されて数人の養父の手で教育を施された彼は“上流階級にふさわしい高等教育を受けたのが初めてとは思えない”成長ぶりを示すが、様々な人々の思惑に翻弄された5年の歳月の後、謎の男に暗殺されてしまう。果たして、彼は暗殺されなければならないほどの、どんな秘密を抱えていたのか。彼自身の記憶からも抜け落ちているはずの彼の本当の素性は?

        「見てきたように嘘を言い」という言葉があります。これは、そーゆー本です。

        著者は、膨大な史料・文献を駆使して仮説をまとめていく。でもその仮説は、「そうでなかった、という証拠はない(そうであったに違いない、という証拠もない)」といったものなのだ(西澤保彦のミステリみたいね)。

        曲がりなりにも史学科出身の私がまず思ったのは、「これって、歴史家には絶対に書けない本だなあ」ということ。あくまでも、“文学者”のロマンなのね。そこに価値がある。

        カスパールの正体を求める問いは、カスパールが見ていた世界、そしてカスパールを見ていた世界の正体を求める問いに、いつしかすり代わる。そしてカスパール・ハウザーという一つの謎を通して、著者自身は一体「何」を視たかったのかという問いに。

        カスパール・ハウザーはある日やって来てそこにいた。それから消えた。カスパール・ハウザーに接触した人びとは、その度に彼を御者の助手と見、百姓の小僧と見、浮浪者と見、無神論者、キリスト教徒、同性愛者、嘘つき、詐欺師、女中の子、野蛮人、フランスの、スペインの、ハンガリーの、それぞれ盗まれた王子として見た。(本文中より引用)


        ……なんだかちょっと、わくわくしない?


        謎のカスパール・ハウザー
        謎のカスパール・ハウザー
        〔1997/1983〕
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        筒井康隆『パプリカ』(中公文庫)
        筒井康隆って、実はそれほど好きじゃない……なんておおっぴらに言うのは、かなり勇気の要ることである。誰に聞いても天才だって言うもんね。

        決して面白くないわけじゃない。というか、はっきり言って、非常に面白い。読み始めたら止まらない本を書く人である。だけどなあ、なぜか積極的に読みたい作家ではないのですよ。あのアクの強さが、私の嗜好とは正反対のベクトルを有しているみたいなのですね。

        ……とか何とか言いつつ、出来心で手に取った『パプリカ』は悔しいけどやっぱり面白かった。美しい精神科医、千葉敦子は患者の夢に潜入して治療を施す夢探偵「パプリカ」という別の顔を持っている。敦子の同僚、時田はサイコセラピー機器開発の天才。二人はノーベル賞にノミネートされている。しかし研究所内の彼らに敵対する勢力は、時田が新しく開発した「CDミニ」を盗み出し、敦子は危機に晒される。戦いは、全て夢のなかで……。

        うーんと、えーと、面白いんだけど。とっても面白いんだけど。一気に読んだんだけど。でもなんか割り切れないぞお。素直にこれ面白がっちゃいけないような気がするぞお。なぜだ? あとこのヒロイン、そんなにいいですか? 夢の女ですか? 私パス。

        なんか結局、私の個人的な好みの問題ですっきり楽しめない本なのだった。しかしストーリーの面白さは保証します。困ったなあ。最後の1ページは結構好き。

        パプリカ
        パプリカ
        〔1997/1994〕
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        + about this blog
         かつて存在した「本の虫茶房」というサイトの1996年から2000年の読書メモと、現行サイト「虫の居所」の2002年までの読書メモを再掲載しています。
         現在では捉え方が変わった本もありますが、感想文は誤字の修正など以外ではほぼ当時のまま。
         今後の実質的な更新はありませんが、コメント、トラックバックは受け付けています。